むだづかいにっき∞:BLOGやすみますた
しばらくむだづかいにっきを見ていないうちに、なんだかコメント欄が色々と活発なこと(こういう状況を示す一般的用語は何だろうか? フレーミングではないだろうし、トラブルは比較的近い気がするが、少し違う気もする)になっている。
論議の発端は以下の記事だろうか。
むだづかいにっき∞:他人の悪口を書く際のスタンス
2chが発端なのかも知れないが、当該スレは読んでいないというかどこか分からないので、とりあえずむだづかいにっきのコメントを読んだ範囲で感じたのは、結局のところ、今回の論議はマナー論に集約されるとともに、日本人的と言いきって良いのかどうかは知らないが、「優しい」相対主義者が世の中には沢山いるのだなあ、ということである。
マナー論に集約される、というのは大まかに見て、えっけん氏の態度に非難の矛先が集中しているところから、そう結論づけることができる、と思う。一部では、批判自体を問題にする向きもあるようだが、これは多数派ではないようだ。
また、えっけん氏の物言いについての批判の向きもあるようだが、過去の議論を幾つか見てきた立場からすると、えっけん氏は言葉の修正・訂正は比較的頻繁に行っているので、「先天的に口は悪いかも知れないが、それほど悪意はないし、反省しないわけではない」ということで問題にするような点ではないだろう。
#そもそも、表現についてはえっけん氏本人が不足を認めていて、今後努力すると表明しているのだから。
残る問題は、議論をふっかけることの是非、であろう。
ここは、日本人的相対主義の立場からすると、非難の的になりやすいようだ。
日本人的相対主義(ここでは、上記サイトを踏まえた用語として使う)の観点からすると、議論をふっかけることは忌むべき行為であろう。
個々の内容を十分に吟味してもいないのに「それぞれの意見にはそれぞれいいところがある」「ケース・バイ・ケースで考える」とか、「状況や相手によっていろいろな考え方もできる」という意味不明の曖昧な発言が飛び交い、「あの人にはあの人なりの考えがあるのだろう」「どれが良いかは、一概に判断できない」と逃げて結論を回避して終わらせてしまいがちになることも多い。
相対主義者(本来的な意味ではない部分が多い。日本人的、なそれのこと)は、生来の気質的に優しい人なのか、上記のように議論を突き詰めることはせず、さらに言えば、対立軸で行われる議論そのものも嫌がるようだ。
しかしながら、自立した個と個の関係で構築される世界において、議論を行わずに済ませる、ということはなかなか難しい。現実社会においては、各人の立場の違い(年齢や役職等)により、位が上の人物に下の人物が従うことによってかなり回避できるが、インターネットにおいてそういう尺度の力は非常に弱いものである。
#なお、この点について、インターネットにおいても社会の常識が通じる、と思っている人がいるようだが、web社会にはweb社会ならではの事情があり、例は不適当かも知れないが、日本とアメリカぐらい異なる「社会」である、という認識は必要ではないだろうかと私は思う。
インターネット(正確にはwebというべきか)という社会において、議論はある種必然である。
日本においては、「ホームページ」という用語が一般化しているように、webサイトは作成者の家、という意識が強いようだが、実際は「開かれた家」である。誰でも立ち寄れるというか、別なサイトに行くのに通り抜けないといけないこともある。壁には主張などが貼り付けられているため、視界に入った主張に反論したくなることもあるのは、当然だろう。
別の表現を使えば、webサイトで何かを書く、というのは街宣車で主張して回るのとあまり変わらないのである(完全に同じではないが)。
少し話が逸れたようだ。
議論を求めない人の存在は承知しているが、だからといって議論をしたい人の存在を認めない方向に展開するのは間違っているだろう。
まあ、議論のための議論はさけ、議論の理想的な形のひとつであるところの、アウフヘーベン(止揚)に持ち込めるような議論なら別にふっかけてもいいんではないの、と思う今日この頃である。
#最近、忙しくてテキストが満足に書けません。最後のほうはやっつけ気味であることをお詫びします。