テレビと電話がなくなるならば
Wired News - どこのテレビもすぐ消せる、新型リモコン『TV-B-Gone』(上) - : Hotwired
この記事と、最近話題の電話加入権問題が碧の脳の中で有機的に結びついた。とは言っても、脳内での情報の結びつきはいつだって有機的に行われるものだが。
まず、電話は非常によくないものである。一般の人が勘違いしているように、便利ですらない。少なくとも、電話を受ける側にとってはそうだ。
電話のベルが鳴り始めると、人は作業なり会話を中断して受話器を取らなくてはならない。重要なことをしている最中であったとしても、受話器を上げて即座に置くわけにはいかないだろう。再び掛けられるのがオチだからだ。
実際、電話とは相手の時間を所有するためのツールであると考えたほうがいい。つまり、自身の電話番号を誰かに教える行為は、自身の時間を相手に所有させることを許す行為であるわけだ。思うに、これほどゴージャスな伝達手段は他にないと思う。いつでも人を呼び出し、メッセージを通知することができるのだから。
他の伝達手段ならば――手紙にしろ、メールにしろ――相手は読む時間を自由に選べる。だが、電話ではそうはいかない。最近の電話では、電話をかけてきた相手の名前を知ることができる(既知の人物であれば)が、その用件が急用なのかどうかは電話に出てみないと分からない。
電話ほど不便な連絡システムが未だに存続しているのは驚くべきことであると碧は思う。いつか、電話を捨ててみたい。
次に、テレビ。こちらは比較的穏当で、見たい番組がある場合にはいい仕組みだと思う。しかし、見たい番組を見たい時間に見ることはできない。古い作品を見る場合、ビデオやDVDでの販売を待つか、再放送を待たなくてはならない。別に、何十年も前の番組を見たい場合でなくても、である。
これが、インターネット配信でPPVになれば、どれだけいいことか、と碧は常々思っている。
ついでに言えば、絶版本はオンラインで配信すべきである。有料でかまわない。コピーが多少流通したとしても、そもそも絶版にしてしまうのだから、かまわないだろう。また、本来の本よりも単価が高くなってもかまわない。必要な人間はそれでも買うのだから。買う機会が失われることのほうが、よほど問題である。
現代の便利なシステムは、実際は過去の便利なシステムである、と言えよう。改善の余地はいくらでもあるのだ。
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