どっちらけから、どっちらけへ
お気に入りのカレー屋さん100: プロとアマの差ってなんでしょうね
こちらの記事を読んで、
プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その1
プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その2
この辺のことに何か書いてみようと思っていたが、少し憂鬱な出来事が発生してもたもたしているウチに、
そもジャーナリストとはいかなる職業か
こうなって、
隊長がすごい勢いで突っ込んできた(泣)
こうなった。一言で今の心境をあらわすなら「どっちらけ」である。
まあどっちにしろ、ジャーナリズムのプロとアマにはそれほど興味がない。碧的に興味があるのは小説家のプロアマについて、だ。ただまあ、これは翻ってジャーナリズムのプロアマに関係してくるかも知れないし、してこないかも知れない。それは実のところ読者次第である。
以下の文では、芸術人的小説家のプロアマについては、プロ・アマと表記し、商売人的小説家のプロアマについては、「プロ」「アマ」と表記する。また、両者を総合してプロアマと表記する。
#感覚で読んでいただいても大体分かると思うが。
現状において、小説家の「プロ」「アマ」は、出版社から本が出ているかどうかで分けるのが常識である。ただし、そのことと作品の品質・芸術性がイコールであるかどうかは関係ない。
出版社から本を出したければ、1万人程度の人間に本を買わせなければならない。でなければ、採算が合わない。結果として、文学的にすぎる作品については一般人が購入しないため、出版社からは出せない=「プロ」ではない、という事情が生じる。一方、過去の名作の縮小再生産的な作品については、一定の客が購入するので、出版社から出せる。作家連中の間で評判が悪かろうが、である。
昨今の活字業界を眺めるに、プロが評価する作品ほど売れないようだ。例えば純文学。これは売れない。
エンターテイメント方面でも似たり寄ったりで、ベースになる読者が多いミステリぐらいでしか、新たな試みなどが受け入れられる余地はなさそうだ。
つまり、小説家として本気で芸術しようと思えば、その作品は別ルート(自費出版やらネットやら)で流通させるか、大御所になってから「名前で売る」しか手がないのが現状である。……ほら、なんだかプロアマが奇妙なことになってきた。
まあ、この手の問題は今に始まったことではない。読者が減り、裾野が狭くなった関係で、より際立つようになっただけのことだ。
そもそも出版社というのは目新しい概念である。
これまでは、自費出版なりパトロンなりを利用して出版するのが作家の基本的な形であった。この場合、作家は自らを100%満足させる作品を書いて発表することが可能だ。現在、オンラインで小説などを書いている「アマ」はこれに相当すると考える。
それに対して、出版社を通じて作品を流通させる「プロ」は、自身の満足よりも他人の満足を念頭において作品を書く。つまりは売らんがためであるが、売らなければ生活が出来ず(副業があれば別だが)、創作から離れることが増えれば増えるだけ、プロへの道のりも遠くなる(これには異論もあるだろう)。
で、高速道路先の渋滞である。これは……いや、まてよ?
……むう。
……なんてこった。
プロ用の高速道路と「プロ」用の高速道路は別の方向を向いていて~ という風に続けようと思ったのだが……小説家(志望)にとっての高速道路って……?
ああああああああ。やっちまった。
なんか文章書けない、鬱だ、と思ったらそういうことか。思考回路が全然動作していない。「プロ」用の高速道路も、プロ用の高速道路も、知らない人は全然知らない、ということをすっかり忘れて書いていた。いやはや。
てなわけでこの文章もどっちらけな感じで終了する――。
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